Q&A(ルビなし版)
今回の訴訟についてのQ&Aのページです。
今回の訴訟の争点や国籍法11条1項の問題点をわかりやすく伝えたいと願い、支援ネットワークが作成しています。
少しでもわかりやすくをモットーに、随時、改訂していく予定です。
(質問をクリックすると回答が表示されます。ルビ付きバージョンはこちら)
第1「国籍はく奪条項違憲訴訟」の原告はどんな人たち?
原告たちは、日本国籍の両親から生まれました。両親とのつながりによって、生まれたときに日本国籍を取得しました。
今はスイスやリヒテンシュタイン公国、フランスで暮らしています。
ある原告は日本の国内で生まれ、育ちました。そして成人になった後に海外で暮らしはじめました。
別の原告はもともと海外で生まれ育ち、ずっと海外で暮らしています。
原告たち8名のうち6名は、スイスやリヒテンシュタイン公国で、仕事上の必要や生活上の必要のためにその国の国籍を取りました。
別の2名は、日本の国籍だけを持っています。今暮らしている外国での生活のために、その国の国籍をこれから取りたいと希望しています。
原告たち8名のうち6名はスイスやリヒテンシュタイン公国の国籍を取りました。そして日本政府からは、外国の国籍を取ったという理由で、日本国籍を失った人として扱われています。
原告たち8名のうち外国の国籍を取っていない2名は、今は日本国籍を持っている人として扱われています。ですが、この2名が将来外国の国籍を取ったときには、日本国籍を失った人として扱われるおそれがあります。
その原因が、国籍法11条1項です。
第2 原告たちは今回の裁判で何を求めているのですか?
国籍法11条1項です。
この条文には「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。」と書いてあります。
つまり、日本国民が自分の志望で外国の国籍を取ったときには、取ったと同時に自動的に日本国籍を失う、と決められているのです。
国籍法11条1項を違憲無効とする判決が出たら、その条文は無かったことになります。
そうすると、原告の中で過去に外国の国籍を取った人たちは、日本国籍を奪われなかったことになります。また、これから外国籍を取ろうとしている原告たちは、外国籍を取っても日本国籍を奪われずに済みます。
つまり、「国籍法11条1項は憲法に反して無効」とする判決が出たら、原告たちは安定して日本国籍を保有している人(=日本人)として公式に認められるようになります。
原告たちは、国籍法11条1項は今の国籍法が施行された昭和25年から憲法に違反して無効だった、と主張しています。
この主張が認められれば、これまで国籍法11条1項のせいで日本国籍を失ったと扱われてきた大勢の人たちも、日本国籍を失っていなかった(=日本国籍を持ち続けている)ことになります。そうなれば、このような原告以外の大勢の人たちにも、日本国籍の回復・確認の道が開かれることでしょう。
第3 国籍はく奪条項ってひょっとして?
はい。ノーベル賞受賞者の故・南部陽一郎さん、中村修二さん、カズオ・イシグロさんたちは、外国の国籍を取得したことで、日本国籍を失いました。国籍法11条1項が原因です。
ノーベル物理学賞受賞の中村氏「日本は研究者から選ばれない。上意下達が過ぎる」 どうなる日本の科学(7)米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授・中村修二氏 ニュースイッチ、小寺貴之
2020年7月末には、イギリスで活躍中のミュージシャン、リナ・サワヤマさんがイギリス国籍がないために音楽賞へのエントリーができなかったことが報道されました。
彼女がイギリス国籍を取得できていなかったのも、国籍法11条1項が原因です。
日本生まれイギリス育ちの彼女は、日本国籍を放棄してイギリス国籍を取得することを考えたこともあったそうです。しかし、家族は皆日本にいて、日本のパスポートをなくすことは家族とのつながりを断つことだと感じられて、できなかったのだそうです。
「たくさんの人たちが自分のパスポートについてそういった感情を持っていると思う」と、彼女はインタビューで語っています。
‘It’s Othering’ – British-Japanese Artist Rina Sawayama Can’t Enter British Awards Zing Tsjeng, 29 July 2020, 5:00pm, VICE UK
明治時代の1899年に、複数国籍の発生防止を目的としてつくられました。
それが今も、何の見直しもされないまま、残っています。
第4 複数国籍って何それ?
「複数国籍」は、“1人のひとに複数の国籍がある状態”を指す言葉です。
multiple nationality
multiple citizenship
の訳語です。
「重国籍」も同じ状態を指す言葉ですが、言葉のつくりや響きが「重婚」に似ているせいで、倫理的に悪いことだとイメージされやすいように思われます。
しかし、1人のひとに複数の国籍があるということは、「良いも悪いもない、単なる状態」です。
そこで、今回の訴訟では、「良いも悪いもない、単なる状態なのだ」ということをアピールする目的で、「複数国籍」という言葉を使っています。
どの国も、誰に国籍を与えるかは自由に決めることができます。
このことを、国籍法制に関する「主権尊重の原則」と言います。
そうすると、ある国がAさんに国籍を与え、別の国もAさんに国籍を与えるということが起きてしまいます。これが、複数国籍の発生です。
そして「主権尊重の原則」がある以上、複数国籍を完全に防止することは不可能です。
世界には、いろいろな国籍法制の国があります。
たとえば、自分の国の国民の子孫に国籍を与える国があります(血統主義といいます)。
自分の国で生まれた人に国籍を与える国もあります(生地主義といいます)。
血統主義と生地主義を組み合わせている国もあります。
細かい条件をみると、それこそ千差万別です。
「主権尊重の原則」も、国際人権法の発展に伴い、制約を受けるようになっています。
具体的に言うと、差別禁止原則、無国籍防止原則、恣意的な国籍はく奪禁止原則(世界人権宣言15条2項)、夫婦国籍独立の原則という4つの原則により、各国は立法裁量の幅を狭められてきています。
過去には、問題が起きるんじゃないのかと心配された時期がありました。
たとえば1930年に作られた「国籍法の抵触に関するある種の問題に関する条約」は、複数国籍の発生が避けられないことを前提にしてその弊害をどう解決するかを定めようとしたものでした。
しかしその後、心配されていた弊害は杞憂に過ぎなかったり国際慣習法や条約で解決できたりすること、むしろ複数国籍を認める方が社会にとっても個人にとってもメリットが大きいことが認識されてきました。
その結果、複数国籍を肯定する国が増え続けています
外国に行った自国民が外国の国籍を取得しても元の国籍を失わないですむ法制度を持つ国(つまり日本の国籍法11条1項とは異なる制度を持つ国)は、2011年には国連加盟国の72%(国連調査)、その後さらに増えて、2018年末では世界の75%になっています(マーストリヒト大学調査)。一目でわかるグラフはこちら→Global Dual Citizenship Database)
複数国籍を肯定する国が増加したのは、
「平等と人権への配慮、不可避だという諦観、そして二重シティズンシップの利益はその費用をはるかに上回るという多数意見とが合わさった帰結」(ヨプケ、クリスチャン、2013年『軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムの行方』岩波書店72頁)
であるなどと、説明されています。
法務省の推計によると2018年時点で複数国籍の日本国民は92万5000人に上ります(法務省推計(毎日新聞記事へのリンク))。
これほど多くの人が複数国籍であっても、そのために問題が生じたという事例は報告されていません。
複数国籍を防止すべき根拠としてよく挙げられるのが、「国籍唯一の原則」です。
しかし、このような原則は存在していません。(「いわゆる「国籍唯一の原則」は存在するか」(永田誠、1986年))
この原則が掲げられたとされるのが、「国籍法の抵触に関するある種の問題に関する条約」(1930年)です。
しかし、この条約は、法的拘束力のないその前文で「この領域において人類が努力を傾けるべき理想は、あらゆる無国籍の事例及び二重国籍の事例をともに消滅させることにあると認め」と述べるのみで、実際には複数国籍が発生することを前提に、複数国籍の弊害を除去しようとするものでした。そして国籍法に関する最先端の文献でも、そのような原則の存在は触れられていません。(International standards on nationality law: texts. cases and materials, Gerard-Rene de Groot and Olivier Willem Vonk,2015)
第5 原告たちは何に困ってるの?
外国に生活の基盤や活躍の場を築いてきた人や、家族関係が国境を越えて広がっている人たちにとっては、国籍が一つだけだと困る場合がたくさんあります。
どちらも大切、どちらも必要。このことを、「複数国籍は二刀流」と言います。
メジャーリーグの大谷選手に、誰も、二刀流はやめて投手か野手か一つを選べ! などと野暮なことは言わないでしょう。どちらか一方だけで十分、などということはまったくないのです。
2019年、原告弁護団では、国籍法11条1項に関するアンケート調査を行い、497名の方から回答をいただきました。
外国で暮らしている日本国民が直面している問題のいくつかを紹介します。
住んでいる国の国籍がないと、その国での就労の機会や社会保障(年金、教育機関の授業料免除や奨学金)、相続などの場面で不利になることがあります。税金を納めているけれども参政権はないので、自分の暮らしに直接影響する政策決定にもかかわれません。在留資格も不安定です。永住権や永住資格を取れたとしても、何年かおきに更新が必要だったり一定期間を超えて居住国を離れると喪失させられてしまったり、最悪の場合には強制送還の対象になったり、国際情勢次第で再入国が制限されて生活基盤が失われてしまうことさえあり得るなど、さまざまな制約があります。(日本でもコロナ・パンデミックの際、永住外国人が出国すると再入国が認められなくなることが問題になりました。)
国際結婚家族の場合、家族に共通する国籍がないと、家族が離れ離れになるおそれもあります。そうならないように、日本国民が住んでいる国の国籍を取る必要があることがあります。
たとえば日本国籍の女性が外国籍の男性と結婚して夫の国に移住して、子どもが生まれました。その外国が、自国民と結婚した外国人に国籍を与えるという制度を持っていないとすると(昔はそういう制度を持つ国も少なくありませんでした)、父と子にはその外国籍が、母と子には日本国籍が、それぞれ共通の国籍ということになります。この場合、家族で共通の国籍を持とうとすると、母親がその外国籍を取得するのが最も現実的な方法です(必要な居住期間を満たすためなど)。
同じケースで離婚することになった場合、母親がその外国の国籍を取得していないと、在留資格が一気に不安定になって親権や面会交流権を確保するうえで不利な立場においこまれるなど、一層深刻な事態に陥ってしまいます。日本で暮らす親の介護のために日本に帰国しなくてはならなくなったときも、問題が生じます。居住国の永住権・永住資格を失わないですむ期間だけ日本に帰国するつもりだったのに、介護のための突発的な事情が生じてその期間内に居住国にもどれなかったら、永住権・永住資格は失われてしまいます。
また、親を居住国に呼び寄せて介護もふくめて一緒に暮らそうと考えたときや、配偶者を呼び寄せたいと考えたときも、居住国の国籍がないと簡単にはできません。
国籍を取得すれば解消できるこういった「ハンディ」を抱え続ける日本国籍者は、不可思議な存在だとみなされることが多々あるようです。
外国で暮らしていても自分は日本国民でありたいと考えている人、日本国民として生き続けたいと考えている人にとって、日本国籍はけっして捨て去ることのできないものです。その意味で日本国籍は個人のアイデンティティに深く関わるものだといえます。また、今は外国で暮らしているからといって、このまま永遠に外国で暮らしつづけるとは限りません。将来は日本に帰って日本で暮らしたいと考えている人も大勢いますし、今は将来のことはわからない、日本に帰国することは考えていないという人も、仕事や家族の都合で日本に帰らなければならなくなることもあり得ます。日本に帰国することになった場合、日本国籍がないと外国人として日本に入国し、暮らさなくてはなりません。
原告準備書面(18)第4・1(3)で原告らの事情を「個人の尊重」原理(憲法13条)との関連で紹介しています。
また、2019年に原告弁護団が実施した国籍法11条1項に関するアンケートの結果を分析した論文「海外居住日本人が直面する国籍法11条1項の壁」(武田里子)では、原告ら以外の多くの方たちの声・状況が紹介されています。
第6 憲法の何に違反するの?
大きくいうと、二つあります。
複数国籍発生防止を理由に日本国民から日本国籍をはく奪することは、国民主権原理、基本的人権尊重原理、「個人の尊重」原理(憲法13条)、日本国籍離脱の自由とあわせて離脱しない自由を定めた憲法22条2項に違反する、という点。
もう一つは、複数国籍の発生原因にはいろいろな場面があって、複数国籍の弊害のおそれは発生原因が違っても同じなのに、どうして外国の国籍を志望取得した場合にだけ複数国籍を徹底して防止しようとするの? それって差別で、平等原則(憲法14条1項)違反じゃん! という点。
です。
国籍法11条1項の憲法14条1項違反については、詳細を論じた文献はみつけられていませんが、日本国籍のはく奪は厳しく制限されるとする見解は少なくありません。
中には国籍法11条1項の憲法22条2項違反の可能性にずばり言及しているものもあります。
訴訟で証拠として提出した文献を参考として挙げておきます。
松本和彦(憲法Ⅰ基本権、宍戸・松本(321頁))
「国籍離脱の自由は、国籍を離脱しない自由、すなわち、現在有している日本国籍を喪失させられることのない自由も含むと解される。それゆえ、国籍を恣意的に剥奪されない自由も、ここで保障される。…仮に二重国籍防止の正当性が失われたら、外国籍の取得・選択に伴う日本国籍の喪失も、国籍を離脱しない自由の侵害を意味することになろう。」赤坂正浩(憲法1人権〔第5版〕、14頁)
「国籍離脱は、政治的・宗教的・民族的理由などで自国政府から迫害を受けた国民が、その法的支配を脱して他国の構成員になるという、政治的には大変重要な意味を持つ決断の場合がある。日本国憲法は、個人の価値は国家の価値にまさるという「個人主義」の立場を徹底させて、国籍離脱を権利として認めた。逆に、日本政府が日本国民の国籍を剥奪することは、この規定が禁止していると理解できる。」松井茂記(日本国憲法〔第3版〕、139頁)
「日本国憲法は、日本という政治共同体の不可欠の構成員である「市民」を当然「国民」と想定している。国会は、これらのすべての市民に日本国籍を与える憲法上の義務がある。それゆえ、国籍を定める国会の権限は憲法によって大きく制約されているというべきである。それゆえ、これらの市民の国籍を否定したり国籍を剥奪することは、やむにやまれない政府利益を達成するために必要不可欠な場合でなければ許されないものと考えるべきである。」長谷部恭男(注釈日本国憲法(2)、45頁)
沿革として美濃部達吉の「国家は国民の意思に反して一方的に之(国籍)を剥奪することを得ず」との見解を引用し、アメリカ判例、イギリス国籍法を比較対象として挙げたうえで、「国籍の保持が当該国家によって自己の権利・利益を保障される前提条件となっていることを考えれば、合衆国判例の立場を原則とすべきであろう」として、本人の意思に反して国籍を奪うことは原則としてできないと論じています。
(ここで挙げられている合衆国判例とは、連邦議会は合衆国市民権を本人の意思に反して奪うことができないとするAfroyim v. Rusk, 387 U.S.253,267(1967)のことです。)宍戸常寿(憲法Ⅰ基本権、33頁)
平成20(2008)年6月4日最高裁判所大法廷判決をふまえて「国籍の付与が立法裁量に属するとしても、ひとたび国籍を取得した者から、公権力が、恣意的に国籍を奪うことは憲法上禁止されていると解すべきである。」と論じています。近藤敦(人権法、44頁) 端的に日本国籍の恣意的剥奪は禁止されるとしています。
さらに、近藤敦(「複数国籍と国籍離脱の自由」、2020年、『重国籍制度および重国籍者に関する学際的研究 研究成果報告書』)は、次のように論じています。
「日本国憲法22条2項の沿革は、イギリスなどからの移民に対して、1868年にアメリカ議会が「国籍離脱は、すべての人民の自然かつ固有の権利」と宣言したことに由来する。しかし、実際には、国籍離脱の自由は、「個人の意思に反して国籍の離脱を強制されない自由」の側面も重要である。「自己の意思に反して国籍を離脱しない自由」、すなわち「自発的に国籍を放棄しない限り、自由な国に国民として留まる憲法上の権利」を「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める憲法13条と結びついた憲法22条2項の「国籍を離脱する自由」が保障している。後述するAfroyim v. Rusk, 387 U.S.253 (1967)およびVance v. Terrazas, 444 U.S.252(1980)にみるように、国籍離脱の強制について、立法裁量に制約を課すのが今日のアメリカの重要な判例法理である。国籍を定める国会の権限は憲法によって大きく制限されており、日本国籍を剥奪することは、やむにやまれぬ政府利益を達成するために必要不可欠な場合でなければ許されない。特別に国家の安全や国益を脅かす事例を除き、一般に、通常の帰化などにより外国の国籍を取得しただけで日本国民の国籍を剥奪する場合に、やむにやまれぬ政府利益があるものとはいえない。」宮崎繁樹(放棄された領土と住民の国籍(42頁))
ローマ法以来の法原則(「法律が共通善に合致するためには、民衆の承諾よりも良いしるしはない。」)及び憲法13条を根拠に、次のように述べています。
「国籍喪失によって当該者が無国籍者とならない場合であっても、本人の申請、同意によらずに当該者の国籍を失わしめんとする場合は、公共の観点から国籍の剥奪が必要と認められる場合に限られると解すべきである。」
ちなみに、日本国籍はく奪を広く認める文献は、原告ら弁護団が調査した範囲では見当たりませんでした。
日本国籍は、「我が国の構成員としての資格であるとともに、我が国において基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位」です(最高裁判所平成20(2008)年6月4日大法廷判決(国籍法3条1項違憲判決))。
そして、憲法は国民主権原理およびそれに基づく代表民主制の原理を定めており、これら両原理は、基本的人権の尊重と確立を目的とし、基本的人権保障のための手段として不可分の関係にあるとされています(芦部信喜・憲法第5版(37頁))。
憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」としていますが、法律でどんな定め方をしても良いわけではありません。「日本国民たる要件」を定める法律つまり国籍法の条文が、国民主権原理や基本的人権尊重原理、「個人の尊重」原理、平等原則などの憲法原理に違反していれば、その条文は憲法10条違反で違憲無効となります。
国民主権原理や基本的人権尊重原理、「個人の尊重」原理、憲法13条および22条2項は、要約すると以下の理由で、ウルトラ厳しく日本国籍のはく奪を制約しています。
(1)国民主権原理(憲法前文1項、1条、15条1項、43条1項、96条等)
憲法の正統性は、主権者である国民に由来します。
主権者である国民から日本国籍をはく奪することは、憲法の正統性の根源を損なうことであり、不可欠極まりないほどに重要な立法目的がないと許されません。
また、憲法は、すべての国民に、主権者として代表民主制の過程に関わり続けられることを保障しています。
日本国籍をはく奪されると、日本国の主権者としての地位を失い、日本国の主権者グループから追放されてしまいます。日本国籍さえあれば、議会制民主主義の過程に参加して不利益をなくし損害を回復していく道が残されますが、それができなくなります。
憲法の要請する代表民主制は、多様な価値観を有する国民が選挙と議会を通じて協働し国家統治に参加していくというものです。
その過程では、さまざまな個人、集団が交差し、「どの一つの集団も、政治を支配するほど強力な力は持ちえない」少数者であって、「集団が多数者を形成するためには、利害関係の異なる集団との提携によるしかない。それゆえ今日の多数者は明日の少数者であり、今日の少数者は明日の多数者である」と言えます。
多様な価値観が尊重されるべきことを前提とする憲法は、民主制のこのようなメカニズムが作動する過程を保障したもの、つまり「現に政権の座にある集団が自分たちがいつまでも権力の座にいることができるよう、政治変化の経路を閉ざしてしまったり、特定の少数者を排斥して新しい連合体の形成を阻止しようとしたりすることを禁止したもの」と解されます。(この「ちょっと詳しく」の「 」内は松井茂記・日本国憲法第3版(39頁)からの引用です)。
日本国籍のはく奪は、「特定の少数者を排斥して新しい連合体の形成を阻止しようとしたりすること」に当たると考えられます。
憲法は、すべての国民が国民としての権利を行使し、政治参加することのできる過程を保障しています。
多様な価値観、多様な生き方の日本国民が、個人として尊重され、政治の場面ではその折々の多数派をつくって国の政策を決定していく。これが憲法の定める統治のあり方です。その過程から日本国民を追放することは、現憲法下の統治の正統性を損ないかねない重大な事態です。
このような事態を招く日本国籍はく奪は、不可欠極まりないほどに重要な立法目的がないと許されません。
(2)基本的人権尊重原理(憲法前文1項、11条、12条、97条、第3章)
憲法は、日本国民の基本的人権の保障を目的としています。
その一方で、外国人に対する憲法上の権利の保障は、法務大臣の裁量に任せられた在留制度の枠内で与えられるものにすぎないとされています(最高裁判所昭和53(1978)年10月4日大法廷判決(マクリーン事件判決))。
日本国籍のはく奪は、憲法上の基本的人権保障を受ける土台を根こそぎ奪われることを意味します。
このような重要な地位・資格である日本国籍をはく奪することは、不可欠極まりないほどに重要な立法目的がないと許されません。
(3)「個人の尊重」原理(憲法13条)、憲法22条2項
憲法の根底には「個人の尊重」原理があります。
憲法13条前段は、立憲主義及び基本的人権保障の基盤である「個人の尊重」原理を、日本国の「基本的価値」であり、「全法秩序の指針」となる憲法の「根本原理」として定めています(土井真一、注釈日本国憲法(2)(64頁))。
その具体的な現れとして、憲法13条後段は、日本国民の幸福追求権は立法その他の国政の上で最大の尊重が求められると定めています。
外国の国籍を取得したことを理由に日本国籍をはく奪することは、外国の国籍を取得して活躍したい、生活の安定を確保したい、などと望む、日本国民の幸福追求権を侵害します。
また、日本国の主権者としての地位であり基本的人権保障の土台でもあるという、憲法上極めて重要な意味を持つ日本国籍を離脱するかどうかは、「個人の尊重」原理の下では、個人の自由意思で決定されなくてはなりません。
この自由意思による決定については、憲法22条2項が、日本国籍を離脱する自由とともに日本国籍を離脱しない自由を、憲法上の人権として保障しています。
憲法22条2項は、「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」と定めています。
一見、「国籍を離脱しない自由」については何も書かれていないように見える条文です。
しかし、「○○する自由」を保障するということは、「○○しない自由」を行使できること(保障されていること)が当然の前提です。
たとえば、表現の自由の保障(憲法21条1項)は、表現する自由も表現しない自由も保障しています。信教の自由の保障(憲法20条1項)は、信仰する自由も信仰しない自由も保障しています。
同じように、国籍離脱の自由の保障(憲法22条2項)も、「国籍を離脱する自由」も「国籍離脱をしない自由」も保障しています。
もし「国籍離脱をしない自由」がなければ、国籍離脱をするかしないか、離脱するとしてもいつ離脱するのか、個人は自由に選べないことになります。そうすると「国籍を離脱すること」が強制されてしまい、「国籍を離脱する自由」が保障されないことになってしまいます。
つまり「国籍を離脱する自由」は、「国籍離脱をしない自由」が保障されていてはじめて保障される自由なのです。
(4) 複数国籍の発生防止は、これらの憲法原理や憲法規定を超えて日本国籍はく奪を正当化できるほど重要な立法目的とは言えません。(Q4ー3参照)
憲法22条2項の保障する「日本国籍離脱の自由」は、無国籍発生を防ぐという国際法上の要請から、外国の国籍をもつ日本国民(つまり複数国籍の人)だけが対象となります(松本和彦「憲法Ⅰ 基本権」321頁ほか。昭和25(1950)年4月19日参議院法務委員会における村上朝一政府委員の答弁、会議録8頁第2~第3段)。
そして、外国の国籍をもつ日本国民は、日本国籍を離脱する自由だけでなく離脱しない自由を保障されています(上述(3)の「ちょっと詳しく2」参照)。
つまり、憲法は、複数国籍の日本国民が存在することを前提に、その個人が日本国籍を離脱して複数国籍を解消するのも自由、複数国籍を解消しないで維持するのも自由である、としています。
このように、憲法は複数国籍を禁止などしていません。
したがって、国籍法11条1項は、国民主権原理、基本的人権尊重原理、「個人の尊重」原理、憲法10条、憲法13条及び22条2項に違反していると考えられます。
下のチャートをご覧ください。
日本の国籍法はいろいろな場合に複数国籍を発生させ、そうして複数国籍になった人たちに国籍選択の機会と日本国籍を保持する機会を肯定しています。
ところが、外国籍の志望取得をした人には、国籍選択をする機会と日本国籍を保持する機会が認められていません。
この区別に合理性はなく、平等原則に違反していると考えられます。
憲法14 条1項「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
日本の国籍法で複数国籍が発生する場合を説明すると、以下のとおりとなります。
(1)外国籍の当然取得(国際結婚や国際養子縁組の結果、外国籍を自動的に付与される場合)
(2)出生による複数国籍(1984年改正で父母両系主義を採用するまでは、父親からのみ日本国籍が受け継がれる仕組みでした。)
(3)外国で生まれ出生により外国籍を取得した場合に、出生後3カ月以内に日本国籍の留保手続(12条)をおこなった場合
(4)外国人が日本国籍を志望取得する場合
ア 認知による国籍取得に起因する複数国籍(3条1項。外国国籍のみを有する子が、日本国籍の父の認知を受ける等して法務大臣に届けた場合)
イ 日本への帰化申請者が帰化を認められるまでに元の国籍を離脱できない場合に、元の国籍を離脱しないままで帰化できるとしたことに起因する複数国籍(5条2項。元の国籍を離脱しないと日本国籍取得はできないという原則(5条1項5号)に対する例外規定です。この例外に当てはまらない場合は、元の国籍を離脱してからでないと日本国籍取得は認められません)
ウ 国籍再取得に起因する複数国籍(17条1項。日本国民の子として海外で生まれたのに国籍留保届がされず外国籍のみとなった子が、一定の条件を満たして法務大臣に届け出た場合)1984年の国籍法改正で、(2)の父母両系主義による複数国籍と、(4)ア~ウによる複数国籍が新たに生じることになりました。
意外に思われるかも知れませんが、日本の国籍法も、1984年改正以降、複数国籍の発生を広く肯定するようになっています。
そして日本政府は、増えていくのが確実な複数国籍を、本人の意思を尊重しながら、できる範囲で解消することにしよう、という方針を採用しました。
ところが、国籍法には、本人の意思とは無関係に複数国籍を徹底して防止する仕組みが2つだけ残っています。
①日本国民が外国の国籍を志望取得した場合(外国への帰化、国籍法11条1項)
②外国人が日本に帰化をしようとしていて、その人の国籍国の法律とその運用が、日本への帰化の前か帰化と同時に元の国籍を離脱できるあるいは喪失させると定めている場合(5条2項の例外にあてはまらない場合)
この①が、今回の訴訟で問題とされている国籍法11条1項、「国籍はく奪条項」です。
原告は、日本への帰化で複数国籍になる場合や出生による複数国籍の場合などは国籍を選択する機会(国籍法14条)があり、最終的には複数国籍を保持する機会もあるのに、①の場合にそのような機会がないのはおかしい、平等原則(憲法14条1項)違反であると主張しています。
複数国籍の日本国民は、一定の期間内にどれかひとつの国籍を選択しなくてはならないとされています(国籍法14条1項)。そして、日本国籍を選択する場合の具体的な方法として、①外国の国籍を離脱すること、または、②日本国籍を選択し、かつ外国の国籍を抛棄する宣言(日本国籍の選択宣言。2019年に大坂なおみ選手がして話題になりました)をすること、が挙げられています(2項)。
この14条だけを読むと、複数の国籍(人によっては3つ以上あることも)の中から一つを選べ、日本国籍を選択するなら外国の国籍は捨てろ、と迫っているようにも見えます。
しかし、他の条文と合わせて読むと、日本国籍の選択宣言をしさえすれば、結果的に両方の国籍を合法的に保持できる仕組みになっていることがわかります。
というのは、まず、日本政府に対して「A国の国籍を放棄します」と宣言してもA国の国籍がなくなるわけではありません。A国の国籍を離脱するには、A国の国籍法に基づく離脱手続(離脱を許さない国や、離脱がとても難しい国もあります)をしなくてはならないからです。
しかも、日本国籍の選択宣言をした後に外国国籍を離脱することは、あくまで努力義務(16条1項)の対象に過ぎません。「離脱しない」「離脱できない」ことが違法になるわけではないのです。
なお、国籍法15条には、法務大臣が複数国籍の日本国民に対して、どちらの国籍を選ぶかの「選択」を「催告」することができ、「催告」されても期間内に「選択」の宣言をしない者の日本国籍はなくなる、という規定があります。
いったん催告してしまえば催告された側の対応次第では本人の意思に反してでも日本国籍を失わせるぞという、強烈な規定です。
しかし、実際の運用をみると、この「催告」が行われたことは、1984年にこの規定が設けられて以来、一度もありません。
これは、
①平等に催告するには誰が複数国籍かを正確に把握する必要があるけれども、それがほぼ無理なため(外国が誰に国籍を与えているかを漏れなく把握することは不可能です)、催告すること自体がただちに平等原則(憲法14条1項)違反になりかねないこと
②いったん催告してしまえば催告された側の対応次第では本人の意思に反してでも日本国籍を失わせることになってしまうが、そのような事態は、複数国籍の人に日本国籍を離脱する自由(とその反面としての離脱しない自由)を保障する憲法22条2項に違反すると考えられること
などが理由だと考えられます。
「選択」を「催告」されても、日本国籍の選択宣言をしさえすれば、結果的に両方の国籍を合法的に保持できる仕組みになっているのは、上で説明したとおりです。
こういった法律の仕組みをみると、日本が複数国籍を一般的に禁止しているとは言えないでしょう。
なお、憲法が、複数国籍の存在を当然の前提として、複数国籍の存続も解消も個人の自由の問題としていること(つまり憲法は複数国籍を禁止などしていないこと)については、Q6-3のちょっと詳しく(3)をご参照ください。
大きく言うと、下記の4点です。
(1)「「国籍唯一の原則」が世界で広く受け容れられている!」
←間違い Q4ー3参照
(2)「国籍立法は広い裁量がある!」
←間違い。国籍立法も憲法の制約下にありますし、最高裁判例にも国籍に関する立法裁量が「広い」などと言ったものは皆無です。 Q6ー2、Q4ー2(ちょっと詳しく(2))参照
(3)「個人の権利よりも国益が優先」「複数国籍防止は個人の権利に優先されるべき国益だ!」
←間違い。そもそも憲法論ではないですね。仮に「国益」を検討に入れるとしても、「国益」も現行憲法の定めた目的(個人の尊重、基本的人権の尊重、国民主権)に沿って具体的に検討しなくてはなりません。複数国籍の発生防止、しかもそのために日本国籍を国民からはく奪することが現行憲法下で個人の権利よりも優先される「国益」だとは、とても言えないでしょう。
(4)「国籍法11条1項以外で複数国籍が肯定されていても、それぞれの制度目的が異なるから平等原則に反しない!」
←間違い。複数国籍の弊害は同じなのに発生原因によってなぜ異なる扱いをするのか、国は明らかにしていません。ましてや外国籍を志望取得した場合にだけ「日本国民から日本国籍をはく奪」してまで複数国籍を防止することがなぜ許されるのかも明らかにしていません。 Q6ー4参照
第7 判決へ向けて
そんなことないもん! 国籍法にも違憲判決あったんですよ。
平成20(2008)年6月4日最高裁大法廷判決!
戦後の最高裁の違憲判決10のうちの一つが、国籍法に関するものでした。
躍り狂います。
日本の訴訟の仕組みでは、原告たちだけとなります。
ただし、違憲判決は、国籍法11条1項の改廃を裁判所が国会に促すことを意味します。
詳しくは、Q2-3をご覧ください。
あります。たとえば。。。っていうか、あなたもいつ無関係じゃなくなるか、わかりませんよ。将来何が起こるかなんて。
そうでなくても、日本国内で暮らしている人にとっても、国外で日本国民が発言力を強められたら、いろいろなメリットがあるのではないでしょうか。
たとえば、フランスが1954年に国籍法11条1項と同様の制度をなくしたとき、こんな議論があったそうです。
「外国でフランスの文化や道徳的・経済的影響を伝播させられる状況にあるフランス人に、たとえ職業に就いている国の国籍を自らの意思で獲得したとしても、フランス国籍を保持させることは重要である。国籍の取得はしばしば何らかの役割行使の条件である」(パトリック・ヴェイユ『フランス人とは何か 国籍をめぐる包摂と排除のポリティクス』、宮島喬他訳・明石書店2019年、376頁)
また、オーストラリアが2002年に国籍法11条1項と同様の規定をなくしたときになされた下記の指摘も参考になります。ここでいう市民権は、日本の国籍と同じ意味で使われています。
「市民権を取得しようとする国で居住・労働することを希望するオーストラリア市民にとって、オーストラリア市民権を失う恐怖にさらされ続けることは、その国でオーストラリアのプレゼンスを拡大することについて、不必要な障害となっている。委員会は、この状況がオーストラリアにとって望ましい状況だとは考えない。同じように、オーストラリアの国益にも適うとは思えない。」(「オーストラリアにおける二重市民権の位相―1948年オーストラリア市民権法 s17削除論を中心に」 坂東雄介)
原告弁護団が実施したアンケート結果を裁判所に提出するにあたり分析してくれた武田里子大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員は、社会保障についての日本社会の負担という観点から、次のように述べています。
「移民一世が、いずれ生まれ育った母国に帰りたいと願うのは普遍性をもつ感情である。その時に日本国籍にこだわり永住権のまま不利な労働条件で働き、老後の貯えも不十分なまま帰還する場合と、日本国籍を保持したまま居住国の市民権を得てキャリアを積み、ある程度の貯えと年金をもって帰還する場合では、当人の生活の困難さ、あるいは幸福の度合いも、また日本社会の負担も大きく異なる。」(「国籍はく奪条項違憲訴訟(国籍法11条1項違憲訴訟)弁護団 海外居住日本人の国籍に関する調査報告書」武田里子。証拠番号甲124の1として裁判所に提出。)
(アンケート結果を分析した論文)「海外居住日本人が直面する国籍法11条1項の壁」(武田里子)
東京地裁判決は、
2021年1月21日(木)13時15分から!
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