控訴審・第2回口頭弁論、期日報告

2021年11 月30日

控訴人ら訴訟代理人             

弁護士  椎名 基晴  

 本日、控訴人から、準備書面(2)と(3)と(4)を提出しました。

1 まず、準備書面(2)と(3)の内容を簡潔に説明します。

 これらの書面では、控訴人7が申請さえすれば確実にスイス国籍を取得できること、そして控訴人8が申請すれば確実にフランス国籍を取得できることを、新たな証拠とともに示しています。

 その際、スイスとフランスでは制度上一定の要件がそろっていれば確実に国籍取得が認められることも、示しました。これは日本の帰化制度との大きな違いです。日本では、帰化には法務大臣の許可が必要です。そのため、現時点では、日本国籍を剥奪された人たちが帰化申請として日本国籍の再取得を申請したとしても、認められるかどうかは確実ではありません。これらの準備書面では、スイスとフランスは、そのような不確実な制度ではないことを説明し、確認しました。

 準備書面(4)は、国の準備書面(1)に対する反論の書面です。

 この書面は3つのパートに分かれています。

 まず最初のパートについて説明します。

 控訴人の主張は憲法学説や憲法の体系的解釈に基づいています。これに対して、国の主張は憲法学説などではなく、法務省の職員が書いた文献に基礎を置くものであることを指摘しました。

 この指摘は、「控訴人の主張は『独自の見解』に基づくものだ」と国が批判してきたことに対する反論です。

 そもそも控訴人の主張は、たとえば、憲法学の通説である見解、すなわち、日本国籍を保持する権利、日本国籍を恣意的に奪われない権利が保障される、とする見解に基づいています。

 一方、国の主張は、憲法学の学説を根拠にしていません。日本国籍の剥奪を広く認める学説などありませんので、仕方のないことでしょう。その代わりに国は、たとえば平賀健太氏の「国籍法」など、法務省の官僚が執筆した解説書を、国籍の概念等を立証趣旨として提出しています。

 しかし、平賀健太氏の「国籍法」は、官尊民卑の明治憲法時代の思想が色濃く残った文献であるという点で問題です。さらに、憲法上の争点が問題となっている本件の訴訟で、憲法学の通説を考慮せずに、法務省の官僚の書いた解説書を国の憲法上の主張の根拠とすること自体、適切ではありません。

 このような国の主張こそが、国の『独自の見解』に基づくものだと批判されるべきです。

 次に2つ目のパートについて説明します。

 このパートでは、各論として、国の準備書面(1)における主張について、ひとつひとつ誤りを指摘しました。ここでは1つの例を挙げます。

 国は、国籍法11条1項が憲法14条1項の平等原則に違反しているかどうかは、慎重に検討しなくてかまわない、という内容の主張をしています。

 具体的には次のような内容を述べています。

 すなわち、2008年、最高裁が、当時の国籍法3条1項について憲法14条1項の平等原則に違反しているとする、違憲判決を下した。

 その最高裁判決は平等原則違反の有無を慎重に検討すべき理由として①日本国籍の重要性と②本人の意思や努力によって変えることができないこと、という2つ事情を挙げている。しかしそれらの事情と同じ性質の事情は本件の国籍法11条1項ではみられない。だから本件では慎重に検討しなくてよい、というものです。

 しかし、国の主張は的外れというほかありません。

 本件では、①日本国籍の重要性は本件でも全く変わりません。また、②本人の意図ないし認識と無関係に日本国籍を喪失させており、本人がどのような意思や努力をもってしても日本国籍を喪失させられてしまいます。このように、最高裁判決が挙げた2つの事情は本件でも存在します。

 しかも、本件で問題となる国籍法11条1項は主権者である国民から憲法上の諸人権の根源である日本国籍を強制的に剥奪するものです。旧国籍法3条1項が日本国籍を持たない者が日本国籍を取得する場合について違憲無効となった状況と比べても、その人権侵害の度合いの強さははかりしれません。

 そのため、国籍法11条1項が平等原則に違反しているかどうかは、違憲無効とされた旧国籍法3条1項の場合以上に、慎重に検討する必要があります。慎重な検討は必要ないものとする国の主張は明らかに誤りです。

 このように、2つ目のパートでは、各論として、国の準備書面(1)における主張について、ひとつひとつ誤りを指摘しています。

 なお、地裁の準備書面で述べたように、旧国籍法3条1項が違憲無効となったときは新たな立法措置が必要になりましたが、国籍法11条1項が違憲無効となっても、11条1項がなくなるだけで、新たな立法は不要です。違憲判決のハードルは、国籍法3条1項違憲判決よりもはるかに低いといえます。

 最後に3つ目のパートについて説明します。

 このパートでは、控訴人らの請求が認められるべきことを、2つの観点から示しました。

 1つ目は、憲法の正当性を基礎づける、憲法解釈の方法、という観点から控訴人らの請求が認められるべきことを示しました。

 地裁判決は、憲法によってではなく、裁判官の個人的な信条や感覚をもとに、法的論理の積み上げをおろそかにして結論を導いたように見受けられます。

 しかし、自由な民主主義国家の憲法の解釈に必要なのは、法的論理を積み上げる中で、多様で異なる個人すべてが受け容れることのできる、「重なり合うコンセンサス」を探求することです。このような探求がなされてこそ、憲法は世代を超えて、正当性を保持し続けることができます。このことを、ジョン・ロールズや阪口正二郎早稲田大学教授の文献を参照して、示しました。

 したがって、裁判官が、個人的な信条や感覚をもとに法的論理の積み上げをおろそかにした結果、「重なり合うコンセンサス」の結実である憲法が蹂躙される事態は、防がなくてはなりません。

 このように、1つ目は、憲法の正当性を基礎づける、憲法解釈の方法、という観点から控訴人らの請求が認められるべきことを示しました。

 次に控訴人らの請求が認められるべきであるもう1つの観点を説明します。

 それは、日本国籍剥奪が代表民主制の過程から少数者を永久に追放し民主制のダイナミズムを破壊するということ、すなわち「今日の少数者が明日の多数者となり、今日の多数者が明日は少数者となる」という民主制のダイナミズムを破壊するということ、そして、その被害から少数者を救済できるのは、司法府である裁判所しかない、という観点です。

 先月の衆議院選挙では、在外投票が困難になる日程が選ばれました。海外在住の有権者の声ですら、政府も国会も軽視しています。

 この状況では、海外で暮らし、日本国籍を奪われた人たちの苦しみ、日本国籍を奪われることをおそれる人たちの悩み、その苦悩が、国会や行政府を動かす日は、今後もあり得ないでしょう。

 本件の控訴人らには日本国籍のはく奪という極めて深刻な被害が発生し、また発生しようとしています。国会や行政府による対応は今後も考えられない状況です。だからこそ本件では、裁判所による積極的な違憲判断が不可欠なのです。

 少数者の人権保障の砦、守護者としての裁判所が、今こそ立ち上がるべきときです。

 控訴人らの請求を認める違憲判断を、裁判所に、強く求めます。

 以上、本日陳述した控訴人らの準備書面(2)と(3)と(4)の内容をご説明しました。

 ご清聴ありがとうございました。

以上

(当日の読み上げ版です。昨日アップしたものを微修正したものです。)