岩村さん追加陳述書

2020年2月27日(第8回口頭弁論期日提出)

岩村匡斗

はじめに

 前回(2020年2月17日付)の陳述書(甲146号証)で、私は家族を守るためにスイス国籍を取得する必要がある、と述べました。そして、次のように書きました。

 国際的な危機が起きたときには、私たち家族には大問題が発生します。私たち家族は同じ国に保護を求めることができず、家族が分断されてしまいかねません。今の自分に想定できる限りの事態でさえ、想像するとぞっとします。

 「いつか家族が分断されるかもしれないという不安の中で暮らす」。

 私はそんな暮らしが正しいことだとは思えません。

 この思いは、今回の訴訟に原告として関わることになったときから、ずっと頭にあり、弁護団にもお話ししてきたことです。

 ただ、まさかそのような事態に、今回の訴訟の途中に直面させられる日が来るとは、思ってもいませんでした。戦争が間近に迫っているような国家間の緊迫状況は、今のところスイス周辺にも日本周辺にも見当たらなかったからです。

 しかし、今回、私は、法廷での尋問のため日本に帰国することを、家族を守るため、家族の分断という最悪の事態を避けるため、取りやめざるを得なくなりました。

 私たち当事者に法廷で思いを語ることのできる貴重な機会を設けてくださった裁判所には、心から申し訳なく思います。また、被告からは敵前逃亡のように罵られ嘲笑われるのではないかとか思うと、悔しくてなりません。日本で訴訟を支援してくれてきた方々の期待を裏切ってしまったのではと、自責の思いが止みません。

 それでも私は、今回、日本に帰国しないという決断をしました。

 その理由を、この陳述書ではお話ししたいと思います。

 原因は、コロナウイルスの蔓延です。

決断の理由 

(1)コロナウイルスの蔓延と国境、医師である友人のアドバイス

 私が、中国武漢発の新型肺炎コロナウイルスの脅威を感じ始めたのは、今年の1月下旬頃でした。弁護団とインターネットを通した打ち合わせを通して、裁判所での尋問の資料となる陳述書を作成していた時期のことです。

 私は、コロナウイルスの発生源となった武漢の状況、そして中国政府等のただならぬ対応に驚き、コロナウイルスに関する情報を集めはじめました。

 私は、医師である10年来の友人に、日本の状況を教えてもらいアドバイスをもらおうと、連絡をとりました。彼は、日本のテレビ放送に出演して、新型コロナウイルス感染症について視聴者に最大限の注意を促した感染症に詳しい医師です。彼から2月上旬にもらった返事は、日本の状況について「やはり『危惧』されます。今月中に答えは出そうにもありません。ということで、今回の一時帰国は見送られるのが賢明と思います。」「追伸です。今の時点で、日本(Asia)に来るのは『大いなる間違い』と私は確信します。」というものでした。

 それと前後して、ミクロネシア連邦やサモア共和国が、日本からの渡航に制限をかけはじめたとのニュースも伝わってきました。日本政府は、永住資格を持っている中国籍永住者が武漢に里帰りして武漢に足止めされている時、日本政府の用意したチャーター機への搭乗を許可しなかったと、報道でみたのもこの頃です(別紙1)。

 そうして2月半ば、裁判所に提出する陳述書(甲146号証)がほぼ完成した頃のことです。中国武漢発の新型肺炎コロナウイルスが日本国内にも拡がりはじめ、国内初の感染死者が出たという報道がありました。同じ時期に、和歌山では、中国とまったく接点のない医師の感染があったこと、横浜港沖には3000人以上を乗せた客船がすでに長い間停泊しており船内で感染が広がっていること、新たに多数の感染が北海道や沖縄、東京など、各地で起きていたというニュースがありました。

 同じ時期、日本国外では、私が最も案じていたトピックである外国人の入国制限についてのニュースも出始めました(別紙2「中台カップルの子供の入境、台湾で論争 中国籍は禁止に」)。バルセロナで開催予定だった世界最大の携帯電話見本市が、コロナウイルスへの懸念で開催中止になったとの報道もありました。

 また、「台湾を中国領土とみなし入国禁止 比政府 台湾猛反発「独自に防疫」」との報道もありました(別紙3)。私の妻は台湾国籍ですが、台湾は多くの国と国交がないため彼女は多くの国で中国人とみなされることになります。中国人とみなされて入管で拒絶されるおそれがあるため、妻の台湾国籍の友人の多くがスイス国外への旅行を取りやめています。

 2月13日、前述の医師である友人が、改めて、「ニュースを注意してみてくださっていると思います。今月末から来月にかけての帰国は厳に中止されますように。」と、前回よりも明確な忠告をくださいました。

 社会的に影響力のある方で、私との個人メールでもこれまで断定的な発言を避けてこられた方が、私にこのような強い言い方をされたのは、実は2回目です。一度目はスイスでの生活に自信がなくなり、日本への帰国を考えていた時に、まだ帰ってくるなと言っていただいた時です。

 さらに、スイス国境近くのイタリアの街でもコロナウイルスによる死者が出て町が封鎖されました(別紙4)。キリバス、ツバルが日本からの渡航を制限したり、米国や台湾、タイ、韓国などが日本への渡航注意を呼びかけたりするようになり、インドネシアが発熱等の症状の見られた日本人118人の入国を拒否するとの報道もありました(別紙5)。

 こうした状況の中で、私は、3月5日の訴訟期日に出廷するために日本に帰国することのリスクを考えざるを得なくなりました。

(2)私の懸念 スイスに戻れなくなるおそれ

 現在の状況で私が帰国することを躊躇する脅威ですが、肺炎・風邪自体はリスクではありません。

 インフルエンザは毎年流行しています。

 問題なのは、もしも私が感染した場合に、いえ、感染していなくても例えば私の搭乗する飛行機内にひとりでも肺炎の疑いのある人間がいた場合に、まず私は2週間隔離生活を強制されます。

 その間またはその前、その後に、スイスが中国からの渡航者を拒否することになるかも知れず(すでにスイス・中国のスイス航空運航は無期限停止に入っています。)、それどころか、中国の空港だけではなく、羽田や成田を含む、コロナウイルスの脅威が潜む周辺の空港経由の渡航者にも入国制限がかけられたり、最悪の場合には日本からの渡航者が拒否されることになったりした場合には、私はスイスの国籍取得など夢のさらに夢の話、現実世界であるスイスの自宅に戻ることすらできなくなります。

 今回の帰国では、2月26日にスイスを出発し、3月6日にスイスへもどる予定でした。少し早めに帰国するのは大学時代の恩師の退官記念パーティーに出席するためでした。このわずか10日間ほどの短期間に、コロナウイルスをめぐる事態が劇的に収束する可能性は、残念ながら皆無でしょう。

 また、私は日本で重度の花粉症持ちでしたので、暖冬で花粉の時期(通常は3月中旬でしょうか)が早まるとくしゃみ、鼻水、さらに熱っぽい症状が出るため、コロナウイルスに感染したと勘違いされてしまうおそれがあります。そのうえに仮にホテルや交通機関、その他のどこかで、(もちろん最大限の注意をもって行動をしておりますが、妻と私以外の共同空間で一度でも注意を忘れ)風邪をうつされてしまった場合に、スイスに予定通りに帰国することは、おそらく完全にアウトになるでしょう。

 それでも私はかろうじてパーミットCですが、妻はパーミットBの台湾国籍、仕事は自身が出社しないと業務として認められない販売員です。彼女は、最悪の場合は即解雇、良くても今年8月までの契約期間までで、その後は契約の更新がされずに夏以降は収入を失うことになります。

 私は管理職でパソコンさえあれば、短い期間ですめば遠隔勤務が許されるでしょうが、死者が発生している状況下で万が一のことを考え、妻は、私だけが訴訟のために日本に帰国し、彼女が独りスイスに残されることを強く拒否しています。日本では放送されていない台湾ニュースの中国現地の状況をみて、ただごとではないと思っているようです。

 

(3)無念

 私はこれまでの人生で非常に重要な選択をしなければならないとき、必ずしてきたことがあります。できる限り多くの人、できる限り異なった分野で生きている方々から意見を聞き、時間をかけて情報を咀嚼し、総合的に分析し、最後に自分自身で判断を下すことです。今回、私は、私の両親、台湾の妻の両親、スイスの家族、国連で働く友人、中国に住む友人、香港に住む友人、日本の友人、スイスその他の友人たち、多くに意見を聞きました。日本へ帰国することに否定的な意見、肯定的な意見、様々にありました。

 旅行者たちは今日も世界中で旅行を続けており、世界は今日も通常運行です。

 私はどうすべきか、どれが「本当に正しい答え」なのか、長い長い1カ月を過ごしました。

 ふと、考えてみると、私たちの異国民としての人生・立場など、ごみにも満たない小さなコロナウイルスの吐息で大きく吹き崩されてしまうほどちっぽけで不安定なものだったということを痛感させられました。

 そうして、私たちは、動かないこと、すなわち今回の一時帰国を断念することにいたしました。

 私の勤め先の会社の社長に、私が、今回は日本に帰国しないことに決めたと伝えたとき、彼は、心底ほっとしたように、「良い決断をしてくれた」と、私に言いました。社長は、私の訴訟を妨げたくないと思いながらも、会社の在庫管理を行っている私に旅行中に万一のことがあったらという不安を抱えていました。そして、もし私が日本に行くと決断すれば、上司命令で止めなくてはならないとまで、考えていたのだそうです。

 私は、社長が親身になって私のことを考えてくれていたこと、私の決断を肯定してくれたことで救われた気持ちになりました。しかし、訴訟のことを考えると、気持ちは暗くなるばかりでした。

 原告として裁判に立つことができ、私の全てを裁判官、被告の方々にお話しする機会、3カ月以上かけて弁護団の方々のお力で作り上げることができた陳述書、それに対する質疑応答の機会。

 たかがほんの1ミリにも満たない極小のウイルスのせいで、そのチャンスが永遠に失われてしまおうとしている、こんなに腹立たしく情けなく、不本意で、言い訳のできない無力さを味わうことが人生に何度あるでしょうか。

 もしも私が23歳でスイスに飛び出すことなく、日本で生活を続けて、日本で日本人のパートナーを見つけ家庭を築き(または一人で)、東京なり福島なりに住んでいたならば、私はなんの躊躇もなく来月3月5日14時に東京地裁に出廷することができ、敵前逃亡のようなことをして原告仲間に軽蔑されることなく、被告には土壇場で逃げたと失笑されることもなく、また裁判官には無責任な男だと、世間に恥をさらし自分の人生に大きな汚点を残すようなことはなかったはずです。

 スイス国籍がないために、私は今回、母国である日本への帰国をあきらめざるを得なかった。

 この私の悔しさと無念とは、ぜひ裁判官にはご理解いただきたいと思い、乱文ながら、急ぎ、書面にまとめさせていただきました。

 以上