岩村さん意見陳述

第二回口頭弁論期日報告 2018年10月9日(火曜日)

原告 岩村匡斗

1 はじめに

本日は意見陳述の機会を設けてくださり、ありがとうございます。

私にとってスイス国籍がなぜ必要なのか。それは家族を守るためです。

私はなぜ、家族を守るためにスイス国籍を取らなければならないのか。

今日は、そのことをご説明したいと思います。

私は日本人です。私は日本人として生まれました。そして日本人として死にたい。

国外に住んでいるからでしょうか。私のこの思いは年々強くなっています。

「日本人として死にたい。」

日本国籍は私にとって言葉にならないほど大切なもので、絶対に失うことはできません。この思いは野川さんや白石さんが話された思いとつながります。この点はいずれ陳述書でお伝えしますので、今日はお話ししません。

「日本人として死にたい。」

そんな思いを持つ私であるのに、なぜあえてスイス国籍を取らなくてはならないのか。

私はスイスに渡り、現地での暮らしをなんとか確保し、家族を持つことができました。そして、どうしてもスイス国籍を取らなければならない状況におかれています。

今日は、私が今おかれている状況について、それまでの経過をたどりながらお話ししたいと思います。

2 スイスへ

それではまず私がスイスに渡った理由をお話しします。 

私は日本人の両親から生まれました。神奈川県で生まれ、父の仕事の都合で、中学生の頃に福島県いわき市へ移り、大学時代は東京で過ごしました。

大学卒業後の2001年、スイスに渡りました。大学で学んだ国際取引法について研鑽を深め、自分の価値を高めてから日本に帰り、日本の発展に貢献したいと思っていました。

「自分は日本人として世界に羽ばたく人間になるんだ。」「天皇陛下から勲章をいただけるような仕事をしたい。」という気持ちでスイスに向かったことを、今でも覚えています。

スイスを選んだのは、国際私法の研究が最も進んでいたからです。同じ分野の先進国としてはアメリカもありました。ですが、私にとってアメリカは日本に原爆を落とした国です。行きたいとはとても思えませんでした。太平洋戦争のとき、グアム島の北にあるテニアン島で米軍と戦い、玉砕した大叔父の話を、今は亡き大叔母から聞かされていたこともあったと思います。

3 スイスでの死に物狂いの生活

私は必死でキャリアを積み重ねてきました。

スイスに渡ってからの生活は、苦しいものでした。

留学生としては、学費免除を受けたうえにアルバイトをしてようやく生活が成り立つという有様。金曜、土曜の深夜のアルバイトがなくなれば一巻の終わり。そんな苦しい学生生活が長く続きました。

現地の大学を卒業し、今から約10年前に、葉巻を扱う現地企業に就職しました。

その会社では、日本に向けて葉巻を販売する仕事を任されました。

このまま営業成績が上がらなければクビだという崖っぷちにいたとき、事故で目の奥の眼窩を骨折してしまいました。全身麻酔の手術で入院となり、医者からは安静を命じられました。ですが、日本の顧客への対応が途切れれば、これまでの苦労が水の泡になります。私はこんなことで自分のキャリアをあきらめたくないと思い、その痛みをこらえ、片目を閉じながらむりやり仕事を続け、クビにならずにすみました。

営業成績が安定するまで5年かかりました。

残業のないスイスで深夜まで残業をし、日本に帰国して市場調査を行いました。自腹でした。同僚たちの何倍もの力を仕事に注いできたと思います。

2016年12月に、Cパーミットというスイスの資格が取れました。

このCパーミットという資格は日本の永住ビザのようなものです。これを取得したとき、 「これでようやく安定した生活ができる。仕事に集中できる。」と思い、心底ほっとしたことを覚えています。

スイスの法律では、就労ビザを取得して週40~42時間労働を10年間途切れなく続けると、Cパーミットに換えることができます。その10年の間に、事故に遭ったりして仕事ができない期間が一定以上続いてしまうと、それまで積み重ねてきた就労期間は無かったことにされ、リセットされてしまいます。

私は、これまでの苦労を無駄にはできないと思っていました。私の業務は他の人が交替できる性質のものではなかったので、どんなに体調が悪くても、我慢して必死で働きました。長期の国外旅行に行くこともできず、日本への里帰りも短い旅行に限られました。里帰り中もパソコンを持ち歩き、休暇先や機内でも仕事をしていました。毎日仕事をしていました。

とにかく死に物狂いの10年間でした。

そして私はCパーミットを手に入れることができました。

ですがCパーミットは、スイス国籍とは違うのです。

Cパーミットは、外国人としての在留資格でしかありません。

国レベルでの参政権がありませんから、EUとスイスの関係を決めるような、自分の生活に影響する重要な意思決定に参加できません。

また、Cパーミットは永住の権利ではなく、一定期間スイスを離れると原則として失効してしまいます。Cパーミットはあくまでも不安定な在留資格にすぎないのです。

私はCパーミットではなくスイス国籍を取りたいのです。その理由を、今からお話しします。

4 スイス国籍を望む理由

(1)キャリアのために

私がスイス国籍を取りたいと望む1つの理由は、「私のキャリア」です。

私のキャリアの点では、スイス国籍を持っている方がチャンスは広がります。

たとえば、同僚たちと出張するために飛行機のチケットをとるとき、スイスのパスポートでないと時間がかかります。

これは、ささいなことのように聞こえるかもしれませんが、大きな意味をもっています。

空港では、スイス、EU以外の国籍のゲートは混んでいます。乗換えの時間が短いときは、スイス国籍を持っていない人は乗り換えできるかどうかが不確実になります。そうすると、企業ではスイス国籍を持っている同僚が暗黙のうちに優先されます。今年2月、私の会社ではイギリス国籍の同僚がスイス国籍を取得しました。上司が出張に連れて行きやすいのは、私でなくスイス国籍の彼です。

このような小さなことでも差がついてしまうスイス社会での厳しい競争の中で、私は暮らしています。私としては、自分の選んだ道ではありますが、正直なところ、自分だけが足かせをはめられているような、複雑な思いをいだくことがあります。

今、幸いにも私の仕事は安定していますが、それでもこのように差がついてしまいます。そして、将来、事故や事件、失業などで働けなくなったとき、Cパーミットのままで大丈夫なのか。スイスから外国人として扱われる状態に不安はぬぐえません。

(2)家族のために

このように私が厳しい競争の中でスイス国籍を取ろうとしているのは、もちろん私のキャリアを積み上げるためです。

ですが、今の私にとって、この「キャリアを積み上げる」こと、「スイス国籍を取る」ことの意味が変わりました。スイスで働き始めた当時とは違います。

今の私にとって、自分のキャリアを積み上げることも、スイス国籍を取ることも、家族を守るためにどうしても必要な手段となりました。

私は昨年結婚しました。妻は台湾の出身です。

スイスは国籍については基本的に血統主義の国ですから、将来私たちの子どもがスイスで生まれても、スイス国籍は取れません。私の今後のキャリアを考えると、子どもはスイスで育つでしょう。子どもには自分が暮らすスイスの国籍を取らせてあげたい。

そうでないと、子どもが、なんらかの事情で働けなくなって無職になってしまったときに、スイスから日本か台湾へ追い出されてしまう可能性があります。そんな状況は想像したくもありません。

私の願いは、「家族全員で共通する国籍を持つこと」です。

私がCパーミットを持っているので、私の妻は、遠からずスイス国籍を取得できるでしょう。台湾は複数国籍を否定していませんから、妻はスイス国籍取得に抵抗がありません。

そして今、私がスイス国籍を申請すれば、ほぼ確実にスイス国籍が取れる状況です。

もし私が実際にスイス国籍を取れば、将来生まれてくる私たちの子どもも含めて、スイス国籍が私たち家族共通の国籍になります。

反対の場合を想像してみてください。

もし私が日本国籍を失いたくないと言ってスイス国籍を取らなければどうでしょうか。

そのときの私たち家族には共通の国籍はありません。そうなると、普段意識していなくても、国際的な危機が起きたときには、私たち家族には大問題が発生します。私たち家族は同じ国に保護を求められなくなります。そして家族が分断されてしまうのです。

今の自分に想定できる限りの事態でさえ、想像するとぞっとします。

「いつか家族が分断されるかもしれないという不安の中で、私たち家族が暮らす」

私はそんな暮らしが正しいことだとは思えません。

私は家族を守るためにスイス国籍を取らなければなりません。

国外に暮らす日本人の中には、私と同じように苦しんでいる人たちがいると思います。その人たちのためにも、私の状況をお話しさせていただきました。

ご静聴ありがとうございました。

以上

第二回・第三回口頭弁論期日提出 準備書面
(PDFファイル)