野川等(のがわ ひとし)さん意見陳述

意見陳述

2018年7月5日

国籍法第11条1項違憲訴訟
原告団代表  野川 等

1 スイス国籍取得の経緯

私の故郷は、神奈川県の湘南にあります。1965年、22歳のときに日本を離れ、26歳でスイスに渡り、世界各地の孤児を受け入れる施設で教育責任者として働きました。

その後、1984年にスイスで貿易関係の会社を設立し、2001年、スイス国籍を取得しました。私の経営する会社がスイスの公共入札をする上で必要だったからです。

当時、私は、国籍法11条1項を知りませんでした。スイス国籍を取得しても自分は日本国民のままだと思っていました。

1980年代までに外国に渡った人は、ほとんど、この条文を知らなかったと思います。知っていれば私も、日本国籍を維持することを選び、入札を諦めていました。

私の会社がスイスの公共入札をしたことは現地では知られた話でした。日本大使館は私のスイス国籍取得を、2002年の夏頃には把握していたと思います。

2 違憲訴訟提起の経緯

(1)大使館の奇妙な対応と、パスポートの失効、お詫びの墓参

2013年末、私は日本大使館の書記官から、国籍喪失届の提出を求められました。

私は、大使館からの書面が不自然だったり、大使たちの説明が一貫しないことから、このようなおかしな対応が続くのは、国籍法自体に問題があるのではないかと、疑いはじめました。

2015年9月、私は、日本のパスポートの切り替えを拒否されました。私の元には、穴の開けられたパスポートが返されました。

私は、穴の開いたパスポートを見つめ、自分の日本国籍は失われたのだと、このとき初めて実感しました。まるでいきなり「暴力」を振るわれて、心の奥の、とても大切なものが、不意に、無理矢理、えぐり取られたような痛みを、おぼえました。

私はすぐに日本に帰り、ご先祖様のお墓に参りました。

世間の人には、日本国籍を剥奪された私は、それ相応の重大な何かをしでかした、危険で信用できない人物だと、思われるでしょう。

私の両親も祖父母も、曾祖父母も、皆、日本人であることに誇りを持って生きていました。私は、ご先祖様に恥じることのないよう、心がけてきました。

しかし、思いがけず世間から指をさされる事態を招き、一人前の日本人ではない「はんぱもの」扱いをされて、ご先祖様の思いを裏切ってしまった……。

詫びても詫びきれない、悔しくて、情けない思いで、いっぱいでした。

訴訟提起の決意

私は、国籍法11条1項について調べ、友人たちと話をしました。

私の他にもたくさんの人が国籍法11条1項によって人格を傷つけられ、苦しめられていました。明治時代の「棄民」のように捨てられたつらさと、泣き寝入りするしかない悔しさを、声を震わせて訴える人もいました。

そもそも、日本の主権者である日本人が、日本国籍を、離脱する意思がないのに、奪われる。ただ外国の国籍をとったというだけの理由で、国からあたかも裏切り者のように斬って捨てられる。国が法律によって当たり前かのように日本人を放逐(ほうちく)し、罰するかのごとく扱う。

これはまさに「制度化された暴力」と言えないでしょうか。

私は、こんな理不尽な「制度化された暴力」の前に、泣き寝入りも屈服もしたくはありません。

私は、国籍法11条1項を訴訟で争い、自分の日本国籍を正当なものとして回復したい。この条文のせいで苦しむ人をなくしたい、そう決意しました。

それは、私にとって、ご先祖様に与えてしまった失望と無念を晴らすことでもありました。 

友人たちの反応と原告団結成

提訴の決意を友人たちに伝えると、大勢が、一緒に戦いたいと言ってくれました。今回、そのうちの8名で訴訟を起こしました。

今日、この法廷に来ていない原告は皆、日本を大切に思っていて、自分たちの根っこは日本だと感じて生きています。日本のニュースを毎日聞いて、家族や親戚の暮らす日本、故郷の国、先祖の暮らしてきた国である日本のことを、いつも気にかけ、日本と世界が友好関係を保っていけるよう、その橋渡しができるよう、皆、心から願い、行動しています。

そんな人たちから日本国籍を奪ってしまう国籍法11条1項は、明らかにおかしい。私はそう思います。

 3 最後に

私が訴訟を起こしたのは、日本の将来、特に日本の子どもたちのためでもあります。

日本の子どもたちが成長して海外へ活躍の場を求めたときに、「制度化された暴力」、国籍法11条1項によって、日本国籍を奪われ、深く傷ついてしまう。外国の国籍を取得して活躍できるはずなのに、初めからあきらめてしまう。そんな悲劇を、なくしたい。

また、先ほどお話しした大使館の一貫しない対応を考えると、国籍法11条1項を現場で扱う官僚の方々も、この法律で日本人の国籍を奪うことが本当に正しいのか、悩み、苦しんでいるようにも見受けられます。

私は今年75歳になります。いろいろ考えた末、日本の将来のためには、どんな困難があってもこの問題を解決しなければいけないと思い、今回の訴訟を提起しました。この訴訟でたとえ負けることになっても、誰かがこの法律は間違っていると声を上げなければ、いつまでも何も変わらないまま、私たちのようにこの間違った法律で苦しむ人が続いていきます。

それゆえ、この裁判に関わるすべての皆さまには、私たち原告以外にも国籍法11条1項のために苦しんでいる人たち、これから苦しむことになる人たちが大勢いることを思って、長い裁判をお付き合いいただきたいと思います。

国籍法11条1項が違憲無効と判断されることが、日本の将来のために、特に日本の子どもたちのために有益な結果をもたらす。私はそう確信しています。
以上