白石由貴(しらいし ゆき)さん、意見陳述
意見陳述
2018年7月5日
国籍法第11条1項違憲訴訟
原告 白石 由貴
はじめに
私にとって母国である日本の国籍をうばわれること。それが何を意味するのか。今日は3つの視点から、お話しします。
一つ目は「家族の秘密」、次に、「白石由貴という名前」、最後が、「母国日本での選挙権」です。
この3つをとおして、日本の国籍が、私のアイデンティティ、つまり、私にとってかけがえのない一部になっていることを、みなさんにも感じていただけたら嬉しく思います。
1 祖父に秘密にしていた国籍の変化
まず、祖父の存在と、家族への秘密についてお話します。
私は、3人きょうだいのまんなかです。私の父は、私たちきょうだいが未成年のうちにスイス国籍を取らせました。その事実は、日本の親せきに知らせられない「秘密」になりました。特に、松山にいる父方の祖父にはなるべく伝わらないよう、気をつけていました。
松山の祖父は、日本の風土や文化を愛する人でした。祖父の家は、庭も建物も和風で、部屋には、日本の歴史に関する書物がずらりと並んでいました。祖父は、和服姿で、大相撲の勝ち敗けを十数年分もきちょうめんに記録しているような人でした。
父が18才でカトリックに入信した時に、祖父が激しく怒ったと聞いていました。「日本の良い精神的遺産をすてて、よりによって、なぜ西洋の宗教に自分の魂を売りわたすのか」と言っていたそうです。
松山の祖父は、幼いころから、私と「日本とのつながり」を実感させてくれる、私のルーツを確認させてくれる存在でした。私にとって日本の親せきのイメージそのものでした。スイスに親せきのいない私は、松山の祖父や日本の親せきとのつながりを大切に思っていました。
父が、私たちにスイスの国籍を取らせたことを、松山の祖父にはできる限り秘密にする。これは、私たち家族の暗黙の了解になりました。
他の親せきにも、スイス国籍のことは言えなくなりました。スイス国籍となった私たちを受け入れてもらえる保証はないし、彼らをとおしていずれ祖父に伝わるかもしれないからです。
本当は、スイスの国籍を取れば、その瞬間に日本の国籍を失うそうですが、そのことを、当時は十分に理解していませんでした。もし、正しく理解していたら、ますます、伝えてはならない「秘密」と感じていたはずです。
当時16歳だった私には、日本の親せきには言えない、重大な「秘密」ができたこと自体が、大きなプレッシャーとなりました。
祖父が亡くなった後も、「秘密」を守る日々は続きました。
ところが、4年ほど前、伯父と、祖父のお墓参りに出かけた、その帰り道で、私は伯父から不意に「国籍は何なの?」と聞かれました。
伯父としては松山の家の長男として、ずっと気にかけていたのかもしれません。
「国籍は何なの?」あまりにも急な質問に、私はとまどいました。息がつまり、一瞬、固まってしまいました。しかし、きちんと話そうと思いなおしました。「スイス国籍に変わった…」私は答えました。あせりで全身から汗がふき出します。となりで歩く伯父の顔を見る余裕はありません。
今までどおり、受け入れてもらえるのか、がっかりさせてしまうのか、もしかすると親せきから見捨てられてしまうのか、それもしかたないことなのか・・・。
私がうろたえていることは伯父も感じとったと思います。
私の答えについて、伯父は良いも悪いも言いませんでした。ただ、「そうか。」と言ったきり、私たちはただ黙って、歩いていました。
私としては、伯父がどう感じているのか、気になる。しかし、聞けない。どういう反応が返ってくるかが怖い。伯父の気持ちを確かめてしまうと、親せきとのつながりが決定的に失われてしまう。そんな気がしていました。
私がうろたえていたことは、伯父の目にはどのように映っていたのか。あれから数年たちますが、いまだに聞けないままです。
2 アルファベットになってしまった名前
次に、私の「白石由貴」という漢字の名前についてお話しします。
私が、日本の国籍を失ったんだと、はっきりと意識したのは、国籍喪失届を出したときです。日本のパスポートに穴を開けられ、日本の戸籍を消されました。このときに、私の名は、漢字の「白石由貴」にこめられていた、豊かな意味をなくしてしまいました。私の公式な名前は、スイスで使われるアルファベットの「Yuki Shiraishi」となりました。
私の名字は、白い、石、の「白石」です。「白石」家はもともと農家で、松山にある父の家系なんだそうです。アルファベットの「shiraishi」では、私が受け継いだ先祖の家系を表したことにはなりません。
名前の「由貴」は、自由の「由」に、貴族の「貴」と書きます。「自由で貴い心を持った人になるように」という両親の思いがこめられています。
この名前は、私が進むべき道のヒントを与えてくれます。私は、芸術家であり、「自由な」表現をとおして、その表現に接した1人1人が自分の「貴さ」に気づくきっかけを造りたい。そう願って活動しています。私は、両親に感謝し、この名前に恥じないよう生きていきたいと思っています。
私は、自分の名字と名前を、自分が受け継いだ文化・家族・情緒をあらわす「シンボル」として、大切に思っています。アルファベットでは先祖とのつながりや、親の思いを表現したことにはなりません。
漢字を理解する日本人同士なら、名前が持つさまざまな意味を、漢字をとおして共有しあえます。
自分がどのような存在として見られるのか。せめて私固有の名前や国籍を「表す」ことをとおして与えていく印象については、自分で責任を持ち、人生を築いていきたい。そう思うのです。
「日本人としての生き方をまっとうすること」。この中には、日本の国籍、日本の名前を表しながら生きていくことが含まれます。
今、日本の公式の書類では、私の名前は、アルファベットです。日本の免許証でさえアルファベットです。それらを見る度に、私は喪失感を覚えます。
さまざまな手続の場面では、本人確認がスムーズに進まなくなりました。漢字の名前を書いた書類を提出すると、疑うような目で、日本の親戚に問い合わせると言われます。このようなことがあるたびに、つらい気持ちになります。
それは、手続が、いちいち めんどうだからとか、不便だからではありません。目の前にいる日本の人から「あなたは私たち日本人の仲間ではないんですよね」と言われたような気持ちになるからです。
最初のころは、大したことないわ、事務的なことじゃないか、と自分に言い聞かせました。しかし、くりかえし、くりかえし、ただ国籍をなくしたから、という理由で、ささいな不便を押しつけられることが続きます。すると、いやおうなく、本質的なメッセージが姿を現すのです。
「あなたは、日本の仲間ではない。」と。
そして、ささいな不便の度に、ずしんと心に沈む重たい何かを感じます。
3 仲間として,国民として貢献していきたい
最後に、選挙権についてです。
選挙などを通して積極的に政治に参加すること.その大切さを、かつて16歳であった私も、年齢を重ね、社会と接する機会が増えるにつれ、実感できるようになりました。そして、日本の選挙権には格別の思いがあります。
私は日本人の両親から日本人として生まれ、日本人として育てられました。日本を母国として大切に思っています。私は、1人の日本人として、日本社会の仲間とともに、母国である日本を支え、母国を動かす力となりたい。それは、日本の過去の文化を受けつぎ、未来の人々とのつながりを育てる 意味あい もあります。母国である日本を通して、世界に関わっていきたい。こうした経験をとおして、私自身も、日本の主権者の1人として成長していきたい。私はそう願っています。
日本の選挙権の行使は、母国から、社会の一員として認められるということに他なりません。それは「政治参加や社会とのつながりをとおして、母国に根ざした個人として成熟する」という、私の根本に関わる大切な意味があるのです。これは、スイスの選挙権があっても実現できない部分です。
4 まとめ
今日は、家族の秘密、 私の名前、 日本での選挙権という、3つの視点で、お話しさせていただきました。
私は16歳のときに日本国籍を失いました。その後、歳を重ね成長するにつれ、日本国籍を失った様々な意味合いを理解するようになりました。母国・日本から拒否され「根無し草になってしまった」というつらさが募ります。いつしか私は、自分の中で、そのような感情を切り離し、自分をごまかしながらふるまうようになっていました。
ですが、あるとき、ごまかしていても心の痛みは解決できず、自分自身の尊厳を奪ってしまうものだと気づきました。私は、この裁判をとおして、自分の苦しみの根本にある、自分の日本国籍の問題と向き合あおうと決意しました。
私は日本人です。
日本人は、誰しも当たり前のこととして、親戚と『「日本人としての仲間」意識』を共有し、日本の名前を公式に認められて、日本の選挙や政治に参加しながら、日々の生活を送っています。
私の場合は、
・国籍は、親せきに言えない秘密となり、
・「白石由貴」という名前を失い、
・母国の選挙権を奪われてしまいました。
どうしてこんなことになってしまったのか。「日本人として生き方をまっとうしたい」というささやかな願い。なぜ、これを母国・日本に拒否されなければいけないのか。いくら考えても、私には、その理由がわからないのです。
私のような日本人が確かにいて、日本への思いを持ちながら深く苦しんでいることを知っていただきたい。その意味を感じていただき、この裁判の、正しい判断の拠り所としていただきたい。そんな思いで今日はお話しました。
最後まで聞いてくださり、ありがとうございました。
以上